食熱通信vol.24
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食の熱中事務局
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2026年4月7日

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皆さまへ、
いよいよ第6期が始まりました。まだまだお申込み可能です。オープンスクール出席の方々、ぜひご一緒しましょう。生徒の皆様、継続お申込みと共に、お知り合いや興味のある方にもお声がけください!
入学・継続のお申込みは https://shoku-no-necchu-6.peatix.com


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また、第6期の授業②は、皆さまお楽しみのガーデンパーティです。
このパーティは第6期生の歓迎会も兼ねており、生徒の皆さまはパートナーおひとりまでご同伴いただけます。
お申し込みは、まず第6期のお手続きをお済ませいただいたうえで、パーティへお申し込みください。
申込フォームのコメント欄に、ご同伴者のお名前とご関係をご記入ください。
また、お持ち込みになりたいお食事やお飲み物がありましたら、あわせてご記入をお願いいたします。
お申込みはhttps://docs.google.com/forms/d/1cnKbqotYc3i22cQvmOc7jgCJWZSkkBlaAICn_u8hC1c/edit


座学: 2026年2月25日(水曜) 18:30 ~ 21:00 会 場: ユビキタス協創広場 CANVAS
*テーマ:テーマ 「静岡地酒と世界のワイン」
*講 師:講 師 種本 祐子 先生
(株)ヴィノスやまざき. ファウンダー 会長
今日は私の生まれ育った静岡、そしてヴィノスやまざきを通じて静岡のお酒や食などを皆さんにご紹介させていただきます。私は静岡市のヴィノスやまざきの本店で生まれ育ちました。元は父がやっていた山崎酒店という酒屋で、店は常磐町という、産業道路沿いの人通りのない場所にありました。昔の酒屋の免許はその場所での営業が限られているので、で今のように立地のいい場所に店を出すこともできず、仕事のほとんどは配達で、父は自転車で近くに配達に行っていました。近くの青葉通りには夜市役所前から公園まで1キロ近く続く青葉おでん屋台村ができ、多くの人たちは皆帰りにそこでお酒を飲んでいました。お酒がなくなると父に声がかかり配達に行っていました。

昭和30年代には街の整備が始まり、屋台村も撤廃され、今も残るのはわずか数十件ほど。配達先がほとんどなくなりました。
小さい酒屋配達用のトラックや大きな倉庫もない、下戸の父は飲みの営業もできない、男の後継者もおらず、娘は婿を取る様子もなく、廃業の危機となりました。
昭和30年代には街の整備が始まり、屋台村も撤廃され、今も残るのはわずか数十件ほど。配達先がほとんどなくなりました。
小さい酒屋配達用のトラックや大きな倉庫もない、下戸の父は飲みの営業もできない、男の後継者もおらず、娘は婿を取る様子もなく、廃業の危機となりました。
そんな時期、その娘である私は大学を卒業して静岡商工会議所に就職しました。当時はデパートやスーパーのような大型店は地域住民の許可を得ないと出店できず、お酒販売の免許も取れないという非常に厳しい免許のもとに酒屋は守られていましたが、1990年に大規模小売店舗立地法が撤廃されました。免許は自由化され、大型店が黒船のように次々出店してきてディスカウントが始まりました。ビールも安売り、酒屋が一生懸命売ってきた大手の日本酒もスーパーの方が安い。ついにやっていけなくなり商売をたたむことも考えた父が、倉本長治先生という商業界の先生の講演会で「店はお客様のためにある」という言葉を聞きました。お客様のためにあるって何なんだろう? うちの店はお客様の役に立っているのだろうか?
本気で考えていたある時、お店に来たお客様に、「おじさん、静岡って水がいいのにお酒がないよね」と、言われたのです。今でこそ静岡はお酒の名産地ですが、当時は蔵元はあっても静岡酒というものが全くなかった。理由は、静岡で作ったお酒はほとんど桶売りといって、税金を払う前に灘などの大手の酒メーカーに売っていたからです。そのお客様の声を聞いて父は蔵元に行き、お客様が求めるものを、と自分たちで瓶詰めして静岡の酒を作ることを決めました。本当にお金がない中銀行から借りて、一番最初にタンク1本仕入れたのは土井酒造場さんの「遠州灘」という大吟醸でした。でも、この名前じゃ売れない、と、父と土井社長は考えました。当時地方でお酒はよく葬儀の引き出物に使われていてラベルも白黒で地味でした。選挙事務所の景気づけやおめでたい時にお酒を買ってくれるのにこれじゃお店で売れない、と名前を「開運」にしてもらい、包装紙まで開運と入った包装紙を作ってもらいました。そんなふうにこれまでのお酒のイメージを変え、値段も一升1000円、3000円の時代に四合瓶で3000円というお酒を売り出しました。「山崎さん何やってるの、そんなの売れるわけないよ」と、と業界の方から言われたそうです。でもお店に来るお客様に、「これはお米を削って低温で発酵して、開運のこういう杜氏さんがこうして造られた特別なお酒なんです」という話をすると、耳を傾けてくれ、口にすると、「美味しい!こんなお酒飲んだことない。」と、言って下さったそうです。そして静岡の方って飲んでみて美味しいと買ってくださるんです。ブランドより味や質を大切にする土地だと感じています。

店の沿革をお話しします。土井酒造場さんの土井会長と一緒に初めて世に出した静岡酒が「関運」です。「磯自慢」は、今の社長さんが酒問屋に勤めている時、毎朝うちの店に来て1時間くらい父とお茶を飲んでいて、父と寺岡さんが、お酒を作ろう、焼津で海が自慢だから名前は磯自慢だ、という話から作られましたと、聞いています。今でこそ私は大学の授業でマーケットインなんてかっこいい言葉を使っていますが、こういう知恵は、やはり父がお店でお客様に接する中で得られたのかなと思います。また父は、やるなら思い切ってやれと蔵元から在庫を全部タンクで買い取って瓶詰めし、静岡酒は無名なので告知が必要と考えて、銀行からお金を借り50万円もかけて静岡新聞の1面に広告を出し続けました。絶対にいいものだからお客さんはいつかわかってくれる、という思いでした。酵母に関しては、静岡県が協力してくださるようになり、河村伝兵衛さんという大変著名な酵母の専門家の先生により県の工業試験場で静岡酵母も開発されました。そこから一気に他の小さな蔵元も、うちもやってみようとなり、吟醸酒は当時静岡ではほとんど作られていませんでしたが、県と蔵がお米を削ることで、吟醸王国静岡と言われるまでの全国屈指のお酒の名産地になりました。

しかし、第二の廃業の危機がやってきました。後継者がいないのです。当時日本では女性は不浄なものとして酒蔵に入れなかった。今では女性の杜氏さんもいますがその歴史は短く、本当に日本は古かったんですよね。またそもそも自分は酒屋にだけはなりたくなくサラリーマン家庭に憧れていたので、研究職で一応ネクタイをしている種本さんという人と結婚し家も出ました。それが店を閉めると聞いて、それでいいんだろうかと胸が痛みました。その後、店を手伝おうとしましたが、お酒もビール配達もだめ、お酒の包装も不器用でできる仕事はなかったのです。ふと店の片隅にある埃だらけのワインを見て、あれ何?と父に聞くと、お客様が吟醸酒を飲むと、山崎さん、美味しいですね、ワインのようですね、と皆言うからワインを売れば売れるのかと思って仕入れてそこに並べたがまったく売れない。いらないからお前持っていけ」と。友達を集めてそのワインを皆で飲んでもらったところ、すごく面白いことに気付いたんです。ビールや日本酒は大体勝ち筋があり、マスで好まれる最大公約数的な味を作ると売れるのです。CMをやってヒットさせる、という増すマーケティングです。金麦やスーパードライがそれです。日本酒も、もちろん好き嫌いはあっても淡麗辛口とかだいたい今の時代はこれ、という味がある。でもワインは、私は赤の重たいのが好き、私は渋いのより甘いのが好き、私は白しか飲めない、私はロゼのこういうのがいい、と好みが一人一人違ったのです。目から鱗でした。
日本はこれからそういう時代が来るだろう、マスではなく自分の好きなものを選ぶ、それをご提供するのがこれからの小売じゃないかと考え、ワインの試飲会を始めました。必死でワインの勉強をしてソムリエの資格も取りました。当時静岡県で初の女性ソムリエと静岡新聞に大きく取り上げていただいて、やった、これで大成功できると思いました。ところが売り上げが落ちてきてしまったのです。ソムリエになり、東京の有名ワインスクールまで行きブルゴーニュもボルドーもトロッケンベーレンアウスレーゼもトカイ・エッセンシアも、もう有名ワイン全部揃えたのになぜ? その時小売の勉強をしていてたまたま授業で父と同じく倉本先生の「店は客のためにある」の言葉に出会いました。感動して父に話したら、自分はこの言葉を聞いたことで店が潰れないで済んだんだよと言われたんです。さらにミッションスクールで聖書の勉強をした時に、商売の黄金率を学びまして、それがマタイの福音書にある 「Do for others what you would like to be done.(あなた方は自分のしてほしいことを相手の人にしてあげなさい)」でした。

考えてみればワインショップなんてかっこつけて、商工会議所の無担保無保証人のマル経融資で500万円のかっこいいセラーを店の中に作って、ソムリエの格好をしてソムリエバッジを付けて、いらっしゃいませ、何かお探しのものございますか、なんて気取っていました。お店に入ればジュヴレ・シャンベルタンにプルミエ・クリュ、シャトーラフィットロートシルトなんて,
知らない人にとっては、呪文のような言葉が並び値段も8000円とか数万円とか、これ本当に私が好きなワイン? だいたいフランス語も英語も読めないで何探しているのか自分でもよくわからないのに、お探しのものをなんて言われても怖いからお願い声かけないで。私ならこんな店に入りたくないと。そうか、これがいけなかったんだと。そう思って借金を返す前ながら半年でセラーを壊しました。これは父にも叱られました。その代わりに今普通にカジュアルに置いて24時間空調をやっています。棚は、国や地域別に並べるのはやめて、白のすっきり、白の辛口、コクのある辛口、赤のすっきり、赤のコクのあるワイン、甘口…と味ではっきり分けて、チリもフランスもアルゼンチンもすべてそこに並べる。ポップには専門用語は使わないようにして、これはフランスのブルゴーニュという田舎でビュッフェさんというおじさんが作ったエレガントですっきりした美味しいワインで、作った場所はジュヴレ・シャンベルタンと小さく書くといったように全部変えました。そうしたら売り上げが少し伸びたんです。お客様は、セルフで買いやすくなったよとおっしゃってくれた。ところがそれからまた売り上げが止まってしまった。有名ブランドのワインまでスーパーがディスカウントを始めたんですね。私たちが3500円で売るシャブリが980円。もう負けまいと、とにかく一番安いシャブリを問屋さんに持ってきてもらい、980円になるようまとめ買いし、置く場所がないので、もうワインを並べてその上に寝る、のは、大げさですが、もう家中がワインでした。それでも売れない。考えてみたら、ワインを知らない方にシャブリと言ってもそれが何かわかるわけないのです。980円が安いか、また美味しいかもわからないわけなのです。私は独自のマーケティング調査もして、講演の時、ワインを週1回以上飲んでいる人を聞くと、100人いたら1人手が上がる程度。まだまだ少ないんですね。なぜ飲まないかを聞くと、飲んでみたいけど何を買ったらいいかわからない、自分には何が向いているかわからない、ということなんです。値段じゃないんだと思いました。そこで、お客様が好みのものを知っていただく試飲会をやって、お客様がおいしいと言ったものをメーカーからたくさん仕入れていました。しかしまさかのバブルの崩壊で、ほとんどの大手メーカーさんが一定レベルのワインの輸入をやめてしまい、世の中は300円の激安ワイン時代に突入しました。でもお客様に聞くと、これ美味しくないよ。別に300円じゃなくていい、1000円、場合によっては2000円でもいいから美味しいワインを持ってきてよ。そうしたら毎日来るよと言うので、ボルドーの1万円のワインをお見せしたら、1万円じゃ毎日飲めないよ、美味しくて1000円や2000円で買えるワインがあったら僕は毎日買うけど、今この店で買うものはない、と。お客様に注意されたのを今でも覚えています。どうしたらいいか悩んでいた時、フランス大使館の方が、もしよかったらワインを直輸入しませんか? と突然訪ねてこられました。大使館にフランスの生産者が来て、輸入業者さんとのマッチングの試飲会があるということで、小売店では初めて呼んでくださったんです。その際、どのバイヤーも有名産地に群がる中、誰も人がいない、当時は無名のラングドッグ・ルーションという南フランスのワインを飲んだ時、1万円してもおかしくないワインを見つけて、それが驚くべきことに1000円台。ボルドーも農協のワインが2000円台。本当かなと思い何回も計算しても、無名産地のワインは産地ブランドがない分安く、さらに蔵から商社などを通さず、直接輸入すると、驚くような買いやすい価格になるのです。当時のラングドック・ルーション地方のワインは多くは、大量生産して、葡萄やワインを有名産地に売ったりしていたそうなのです。しかし、現地を訪ね、畑を回ると、やはり高品質な蔵元は、全て手摘みで葡萄を収穫し、量ではなく、質を追求していました。
もう、これは、輸入するしかない!
自分でワインを輸入して、自分で売ろう!と決意したのが1994年で、蔵元にお願いして混載で1コンテナの発注をしました。待っていたのは請求書です。一度も輸入実績がないのでとにかく最初は前払いでと言われてしまい、1000万円をどうしようと。その時、成功するところにしかお金を貸さないという静岡銀行を訪ねてみました。そしてまさに今日のここまでの話を全部支店長に話して、絶対売れるから1000万貸して!とお願いし、その場で無担保無保証人で貸してもらいました。短期の運転資金で貸すんだから半年で返してよと言われて、大丈夫、絶対返すからと言いました。そうしてワインが約8000本、バンコンテナで清水にやってきました。それを見て、これどうやって半年で売るんだろうと胃が痛くなりました。でもお客さんたちが、今回初めて輸入したんだってね、と店に来てくださり試飲してくれて、おいしいねと買っていってくれました。中でも、これまでいくら営業に行っても買ってくださらなかった有名レストランの女性の有名ソムリエの方が、軽トラックで買いに来てくれて皆さん車で来てくれて、もう本当に嬉しくて。そのソムリエの方は花束を持ってきてくれて、本当においしいワインを仕入れてくれてありがとう、昨日店で出したらお客さんが大喜びだった、これからずっとお宅で買わせてもらうね、と言ってくださいました。涙が止まらず、店の裏で泣き続けました。商売って本当にと尊い生業なんだ。ソムリエではなく、私が商人になった瞬間でした。


そうやってお客様に育てていただき、1人のお客様が2人になり、3人になり4人になり、いろいろなご縁やお客様の紹介で、これほど増やすつもりはなかったんですけれども気がついたら店舗数が27になりました。ぜひ、熱中小学校の指定店とさせて頂ければ幸いです。また熱中小学校は北海道にもあるそうで、ヴィノスやまざきの社員で、独立支援制度で独立した、ジャガイモで有名な札幌の矢尾農場の息子さんがいまして、ヴィノスやまざき札幌店では矢尾農場の男爵芋のポテトチップスなども一緒に販売しています。ぜひ静岡本店、札幌店はじめ、ヴィノスやまざきをよろしくお願いいたします。あるとき、私がワインを樽で全部売ってもらう仕入れ方をしていたら、知り合いの酒屋さんに、祐子さんの商売の仕方はお父さんにそっくりだねって言われました。小さい酒屋は嫌だと思ってやってきて、でも本当にいいと思う生産者のためにはやっぱり全部リスクを取り一緒に生産者と作っていく。これが山崎酒店のDNAとしてヴィノスやまざきに引き継がれたのかなと思う所以です。そして静岡の人はすごく暖かくて、一生懸命やる人を育ててくれるのです。その代わり有名ブランドというだけでは買ってくれません。小さい時から私たちは、たとえば用宗港で獲れた魚や、焼津港で獲れた魚が食卓に並び、農家の●●さんの造ったミカンを食べ、〇〇さんが作った麻機蓮根を食べる、という食生活を送ってきました。静岡の人たちはそれが普通なmpです。ある意味すごく美味しい土地で舌が肥えていますから、名店が今続々と生まれてます。決してブランドではなく、皆さん本当に美味しいかどうかの実を取る、そういう消費者の方たちに育てられてきたのだと思います。
フランスのボジョレー地区でボジョレーの騎士号という勲章をいただきました。ボジョレーのワインは薄い味ではない、ということを知って頂きたい思いで、本気で樹齢の古い農家さんを探して収穫も一緒に行ってきました。静岡のお客様は安いから薄い、みたいな味では買って下さらない。たとえ、ボジョレーヌーヴォーでもワインとして濃縮して美味しくないと買って下さらないのです。ですので、私がボジョレーで受賞できたののも、静岡のお客様のお蔭なのです。
今日はこの後、ワインをお楽しみいただくのですが、お持ちしたワインの説明をさせて頂きます。

米国大使館でもキャロライン・ケネディ大使が赴任された際、ホール・オブ・フェーム、(名誉の殿堂)という賞をいただきました。カリフォルニアも非常に素晴らしいワインを作るのですが、私がワイン始めた30年前はフランスワインに押されてほとんど無名の産地でした。カリフォルニアに行き、例えばナパの有名なワイナリーにブドウを卸している農家さんとのパイプを強め、農家の造ったワインを販売してきました。また有名ワイナリーが、ブランドを付けず造ったワインの樽を仕入れて、ブランドを使わないというお約束の元、「匿名ワイン」というネーミングを付けて、そのワイナリーのイニシャルを商品名として販売し、大好評をいただいております。今日お持ちした匿名ワインもブランド名がつくと、もしかしたら、1本5万も10万もするかもしれませんが、ブランドを絶対出さないことで1万円以下で販売できるようにしました。静岡の人は本当に美味しければブランドは要りません。だから私たちは匿名ワインとして売り、ラベルには実はそのワインをイメージするイニシャルをデザインしています。今日お持ちした匿名ワインもそんな限定ワインです。
是非お楽しみください。お店に出すと、すぐに売り切れてしまうワインです。
また、本日、この後、試飲していただくワインは、匿名ワインに加えて、低アルコールワインの「ソレイユ キュベ ユーコ」を、お持ちしました。テレビショッピングQVCでの大ヒットワインです。
ワインを売り始めた頃、
主婦の友達にワイン買ってと言うとアルコールが強いと飲めないと言うのです。また高齢の母は、高齢者は高いアルコールのワインは飲めない、でもポリフェノールは取りたいしちょっと甘いのがいい、と言うのです。そんなワイン苦手な女性の友人や母の為に造って頂いたのが、ソレイユ キュベ ユーコです。
祐子さんのお母さんのために、作るよと生産者の方に無理して頂き、作っていただきました。ソレイユは太陽の意味で、キュヴェ・ユウコを飲んでいくつになっても太陽のように元気でいてもらおうと母のために作ったら母のような人がたくさんQVCを見ていらして、なんと1時間で3000本売れるすごいワインになり、ワインで初のベストセラー賞をいただきました。これもお客様の声やお店からのクレーム、もっとこういうワインがあったらいいねという声を聞いていたからこそ、こういう大ヒットワインを作り上げることができたんだなと思います。


ディアリッチというワインは、リチャード・スミスさんという農家の方が有名ワイナリーにブドウを卸していたんですが、有名ワイナリーに卸すなら私たちに卸して! ディアリッチ、ディアリチャード、私のために作って!作って!作って!作って!と何年も手紙を書き続けたらついに作ってくださいました。今は亡きリチャードですが、その時のお手紙をラベルにさせていただきました。そんなお客様と農家をつなぐ、素晴らしいワインはカリフォルニア、モントレーで特注で造って頂いています。
静岡は海の幸、山の幸、本当に美味しいものの宝庫です。柏原さんにも泊まっていただいた匠宿、これは静岡市の丸子宿に、山梨さんという40代の方が起業して作った伝統工芸の体験施設で、静岡の竹千筋細工や静岡陶芸が継承されるよう子どもたちも体験できる場です。古民家を買い取った素敵なホテルで、第6期でお話しされるサスエ前田魚店さんの鮮魚を使ったSimplesというイタリアンレストランもあります。ここに去年「TOWARI」というすごいタルト専門店が誕生しました。名前は蕎麦の”十割”から来ていて、生地もこだわり全部店の中で焼いているお店で、ここには物語があります。この店の本店は恵比寿の「AM STRAM GRAM」で、小さいけどすごく混んでいて、私がたまたま通りかかった時にすごく気になったんです。というのも、ヴィノスやまざきを作った時、すぐ近くで若い人たちがタルト屋を作っていた。それが今では有名なキルフェボンでした。今は大きいチェーンストアになったので、お店に行くと全部一括で焼いている。でも昔のキルフェボンは店内で焼いていた。だから焼きたてでサクサクで本当に美味しかったのを覚えていて、「AM STRAM GRAM」に入ってタルトをいただいたらあの時のキルフェボンの味とまったく同じだった。ぜひ社長さんにお会いしたいと言うとコーヒーを入れていたお兄さんが社長で当時いた竹本さんでした。そしてキルフェボンの創業メンバーの1人として一緒にタルトを焼いていた五條さんはキルフェボンの社長になられたものの、社長の座を捨ててもう一度全部手作りでやりたいと思って始めたのが「AM STRAM GRAM」でした。多店舗展開でなく自分の目の届く範囲だけでやりたいということで、人情横丁の若い人たちが今五條さんのところに修業に来てタルトの焼き方を学び、タルトを焼いてくださっています。
静岡の食はこのタルトのイチゴにしても地産地消ものが多いのですが、五條さんは、捨てられてしまう静岡の酒粕に着目し、その酒粕をタルト生地にできないだろうかということでこれから挑戦されます。お酒にも合う、ワインにも合う、そんなものを作りたいという志を持って焼いてくださった試作品が今日この後出ます。その五條さんを紹介します。五條さんも静岡の出身で、静岡で育ててもらったそうです。
「五條です。東京にいても種本先生に見出していただきいろいろお世話になっています。酒粕にとても興味が湧いてきまして、僕もその時初めて酒蔵の方たちに教えていただいたんですが、静岡の場合、酒粕は名産のわさび漬けにいっぱい使うんだと聞いて、より一層酒粕を使ったお菓子を作りたくなりました。今日お持ちしたのは、種本さんにご紹介いただいた磯自慢と初亀、この2つの吟醸酒の酒粕を使ってショートブレッド、クッキーのように焼いたものです。酒粕は砂糖を入れると当然甘酒みたいになるんですけど、風味がプチプチして、それを洋菓子というカテゴリーではない形で何かできないかなと今試行錯誤している最中です。まだまだ試作品で、皆さんのお口に合うまでには満足いっていないんですが、もしご試食いただいた時にアイデアとかいろいろと教えていただけたらとてもありがたいです。どうぞよろしくお願いします。

五条さん、ありがとうございます。恵比寿の「AM STRAM GRAM」もぜひ熱中小学校の指定店舗として訪ねていただければと思います。静岡から生まれた名店、たくさんあります。なんといっても今話題の成生、Fuji、西健一、温石、Simplesを束ねる、第6期にお話しいただくサスエ前田魚店さんがいらっしゃいますので、私も次回にこのバトンをつなぎまして、ヴィノスやまざき本店でいっぱい飲んでいただき、人情横丁をブラブラしながらとびっきりのお魚を食べていただいて、そして、家族経営の小さな日本酒の蔵を訪ねる、静岡に来てぜひそんな旅をしていただきたいです。私たちヴィノスやまざきも五條さんも全力でお待ちしてますので、また静岡でお目にかかれることを楽しみにしております。徳川家康の時代から、伝統はありながらも常に革新を起こして、頑張っている人を応援するという、そんな友情に満ちた町でもあります。ヴィノスやまざきを育てた町、人を育てる町、ぜひ静岡に遊びに来てください。本日はご清聴ありがとうございました。



実習ツアー報告:北海道十勝ツアー 2026.1.31-2.1
前田まりこ さん (Zoom)







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事務局より:
昨年9月、余市の齊藤町長より「ピノ・ノワールを軸とした余市ワインの市場戦略」について伺いました。現在、北海道は山梨・長野に次ぐ第3の産地として急速な発展を遂げています。その背景には、冷涼な気候や良質な水源、長い日照時間といった、ワイン造りに最適な自然条件が集約されている点にあります。
特に注目したいのが、インバウンド需要も見込める「日本食との親和性」です。
訪日客に人気の高い寿司や天ぷらに対し、日本酒のみならず、北海道産白ワインによるペアリングを提案したいと考えます。素材の味を活かす和食と、主張しすぎず繊細な北海道ワインの組み合わせは、まさに互いを高め合う関係にあると思います。
名ソムリエの田崎真也氏は「ワインは料理を完成させるソースである」と表現されています。醤油や味噌といった伝統的な調味料とワインが共鳴する「和のワインソース」という考え方は、新たな市場を切り拓く鍵となるでしょう。
「北海道の風土」「日本食」「白ワイン」。この3つの要素が掛け合わさることで、世界を魅了する新しい食のストーリーを描くことができるかもしれません。

「食熱通信第23号」発行:食の熱中小学校事務局(一般社団法人熱中学園内)
公式サイト:https://shoku-no-necchu.com/

Mail to:hello@shoku-no-necchu.com
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