食熱通信vol.23

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食の熱中事務局

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2026年2月24日

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皆さまへ、4月から始まる第6期の企画をあらためてご案内いたします。
ご好評をいただいている実習も、続々と内容が固まってきました。実習ツアーは、生徒さんに加えてゲストの方もご参加いただけます。

また、3月25日の第5期最後の授業はオープンスクールとして開催し、どなたでもご参加いただけます。生徒の皆様、お知り合いや興味のある方にもぜひお声がけください!


進化を続ける「食の熱中小学校」。ぜひお早めにお申し込みください。

入学・継続のお申込みは           https://shoku-no-necchu-6.peatix.com

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また、第6期の授業②は、皆さまお楽しみのガーデンパーティです。
このパーティは第6期生の歓迎会も兼ねており、生徒の皆さまはパートナーおひとりまでご同伴いただけます。

お申し込みは、まず第6期のお手続きをお済ませいただいたうえで、パーティへお申し込みください。
申込フォームのコメント欄に、ご同伴者のお名前とご関係をご記入ください。

また、お持ち込みになりたいお食事やお飲み物がありましたら、あわせてご記入をお願いいたします。

お申込みはhttps://docs.google.com/forms/d/1cnKbqotYc3i22cQvmOc7jgCJWZSkkBlaAICn_u8hC1c/edit

座学: 2026年1月25日(水曜) 18:45 ~ 21:00 会 場: 大手町3×3Lab Future

*テーマ:「食を通じた地域活性化  
           〜荻野屋の140年の歴史と循環のシステムデザイン〜」
*講 師: 高見澤 志和 先生(株式会社荻野屋 代表取締役社長)

株式会社荻野屋の髙見澤と申します。今回、会社の歴史を踏まえて今私がどんなことを考えて何に取り組んでいるのかをお話しさせていただこうと思います。
私は群馬県安中市の横川駅の目の前にある実家で生まれ、今年50歳になります。地元の高校から慶應大学に進学し、父の急逝を受けて会社に入社しました。入社後、非常に厳しい会社の財務状況に直面しました。立て直しを計る中で自分の未熟さを痛感し、学び直そうと思い大学院に進学を決め修士課程を修了し現在に至ります。

荻野屋は創業が1885年(明治18年)10月15日です。昨年で140年を迎えました。駅構内営業を主軸としながら、「駅弁峠の釜めし」を開発し、その後観光業としてドライブインやサービスエリアを展開しながら2017年には東京に店舗を進出しました。残念ながら当時出店した東京の店舗は閉店しましたが、最近また新たにレストランを西麻布に開業しました。

峠の釜めしは販売開始が1958年2月1日です。販売価格は現在1400円ですが、販売開始時は120円でした。当時は幕の内弁当が80円だった時代であり、120円は高すぎると言われ国鉄から許可が下りなかったということもありましたが、なんとか販売にこぎつけ、この峠の釜めしが荻野屋の看板商品となりました。これまでに累計1億8000万個を販売しており、年により多少差はありますが年間200万個以上、販売をしております。
 ここから、地域活性化というテーマを交ぜながら説明します。荻野屋は信越本線横川駅の開業と共に駅前に移り、140年が経過しました。駅徒歩10秒の場所に本店があり、駅での営業権を国鉄から受けて弁当屋を開始しました。諸説ありますが、現存する日本最古の駅弁屋と言われています。横川駅で構内営業を開始する前は、碓氷峠の麓にある霧積温泉で温泉旅館を営んでいました。観光でも地域振興でもなく、そこに来られるお客様の胃袋を満たし、疲れを癒す場所でした。軽井沢の開発以前は霧積温泉が東京から多くの方が来る避暑地として賑わっていたようで、我々の原点はそこにあるといえます。
 軽井沢―横川間の開通後、戦後の物資難で非常に厳しい時代になります。横川駅は、列車連結のために必ず停車し、停車時間も通常の駅と比較すると長い駅として重宝されたのですが、乗降客数はほとんどいない駅でした。お弁当などを販売していたもののなかなか売れず苦しい状況でした。3代目の一重が若くして他界し、その妻で私の祖母のみねじが4代目として引き継ぎましたが、当時は明日にも倒産してしまいそうな状況でした。そんな状況を打破するべく、みねじは新商品の開発を決意します。自ら駅のホームに立ち、出発を待っている旅客1人1人に「どんなお弁当がお好みですか?」と聞いて回りました。当時の駅弁は冷えた幕の内弁当が主流であったため、お客様からは「幕の内弁当は飽きたし温度も冷たい、温かく家庭的なぬくもりのあるもの、美味しいものが食べたい」という声が聞かれました。数年に渡ってお客様の声を集め、毎日試行錯誤しながら新しい弁当を作ったそうです。最初は陶器のアイデアはまったくなく、単純に温かい弁当を作ろうというところから始まったようです。開発に取り組む中で、たまたま取引業者さんから陶器の器を提案されました。形状と、煮沸消毒すると非常に熱くなる保温性から、これを容器に使えば温かいまま売れると考えました。電子レンジがない時代、そんな工夫で温かい弁当が実現しヒットします。
重要なポイントは、熱意を持って開発に取り組んだことですね。みねじは本当に人の笑顔を見るのが好きで、お客様の笑顔のために何としても作るという強い思いが商品につながりました。そこから私共も、お客様の笑顔を作ること、徹底したお客様に対する共感を持つことを今も大切にしています。


 峠の釜めしは実は単なる弁当ではなく、体験を作り出すための媒体として機能したと私は考えています。どこにでもある弁当から、そこにしかないものが作られ、旅の途中で食べられて、しかも非常に特徴のあるお弁当。幕の内が主流の時に陶器に入れるというとんでもなく常識はずれのものだったことが人気になって、ほぼ無名だった横川が峠の釜めしと共に有名になりました。メディア等でたくさん取り上げられて人が殺到し、駅が目的地化、聖地化し、初めて観光といえるものが生まれ、バス1台入るのもやっとの小さな駅に人が集まってきました。それをベースに、次なるビジネスとして、ドライブイン事業等をやる中で、地域の雇用を創出し、地域との連携を果たし、結果として地域活性化を実現していたと言えます。「食」が目的地そのものを創造したわけであり、通過点に過ぎなかったところが、珍しいもの、注目されるものを生み出し、立ち寄る場所として次なる観光ビジネスに展開していったというところです。


 高崎駅や軽井沢駅では1日にお弁当が600個~800個、売れる状況もあった中で、横川駅はそうじゃない。だからこそ諦めずに、特徴のあるものを作ろうと、みねじは非常に苦労して作ったということが結果的に成功につながってきたわけです。もう1つ重要だったと思うのは、自らいろいろな場所に出かけて行っていろいろなものを見て回ったということです。単純にアイデアだけではなく、現場に行って自分の目で確かめて、体験を通じて気付きを得ることが商品開発のヒントにつながると思います。
 過去を振り返る、歴史に学ぶことは重要だといつも思っています。最初は継ぐつもりはなかったのが、荻野屋という会社を知っていく中で、なぜ峠の釜めしが生まれ、今も売れ続けるのかがわかり、いろいろな知見を得ました。横川は交通インフラの点で恵まれていて、私が子供の頃は上野から特急列車が発着し、横川まではちょうど90分でした。峠の釜めしを横川駅で買うこと自体が楽しみだとも言われて、商品の内容云々よりも旅の途中のイベント的要素があった。人が人を呼ぶようになり人が集まる仕組みができ、それによってまた需要に応えるものを作らなきゃいけない。今、1日平均6000個ぐらい販売していますが、販売開始当時は1日を通してやっと10個売れる程度でした。そうした仕組みのシナジーで地域雇用も生まれ、地域経済の活性化につながったと思います。
しかし峠の釜めし販売開始後70年の今、直面している問題があります。横川は本当に今、過疎化が進み大変です。1997年の長野オリンピック開催に絡んで新幹線が開通し、沿線の交通の便は良くなった一方で横川駅は終着駅となり、脚光を浴びない場所となりました。横川駅での峠の釜めしの販売個数も全盛期と比較すると99パーセント減少しました。しかし、ドライブイン事業などの観光業の展開がリスクヘッジになって、この危機を脱していったのです。
 さらにコロナです。ドライブインは観光バスの受け入れが収益の要でしたが、コロナの蔓延により観光バスの運行が停止し、コロナ禍が明けた現在でもコロナ以前の水準まで回復はしておりません。コロナ禍においては観光バスによる売上が最大で95パーセントがなくなりました。待っているだけでお客様が来ていた状況から脱却しなければ会社も地域も働く人たちも守れない、厳しい局面となりました。全国の駅弁業者もピーク時は400社ぐらいあったと言われていますが、今は80社を切っています。 人手不足もさることながら原材料の高騰も死活問題で、お米の価格が下がらないのは駅弁業者にとっては本当に厳しい。峠の釜めしの販売価格も今1400円ですが、実際はコロナ禍で300円上げました。正直、人件費も資材も配送コストも上がりこれでもぎりぎりで、100円上げるだけで出荷数が減り、売上が下がるリスクがある。数年前の同業者の食品事故の影響で販売が減ったこともあり、これからは単純に弁当を作って売るだけでは成り立たないというのが駅弁業者全体の共通認識になりました。  

でも荻野屋は過去厳しい状況を何回も乗り越えてきました。こういう時こそ視点や発想を変えて新たな取り組みをするチャンスだと前向きにとらえています。再来年に70年を迎える峠の釜めし、これは文化的資産ではないかと勝手に社内で言い始めています。長く続いてきたものを守っていこうという意識がない限り守れません。大阪万博でも、日本の駅弁文化を未来に残そうという取り組みをしました。駅弁は地域と結びついて発展してきたものなので地域との連携を強くした上で、将来に残していく資産であるという思いで活動を始めています。あらためて荻野屋の歴史を振り返り、過去、結果として地域活性化が行われたことに着目して、本当に存続するために地域活性化をデザインしようと考えています。大学院でシステムデザインマネジメントという考え方を学びまして、これはあらゆるものをシステムとして捉え、そのシステムを有機的に連動するようにどう作っていくかをデザインする発想です。サステナブルな会社を作り、会社が地域活性の全体システムの中の機能を担う形で回していくことが重要です。そして地域活性化デザインに向けて当時の釜めしをもう一度再構築しようとしています。かつては商品目当てにお客様が来て結果的に地域が活性化した、これをもっと循環型にできないかと考えていますが課題もあります。峠の釜めし自体の認知度が年々落ちています。

横川―軽井沢間が廃止され、横川駅が終着駅になり利用者数が減少した。峠の釜めしを横川駅で買う光景自体が体験であり旅のエピソード、ということが少なくなったのは危機意識を持っています。さらに、過疎化で働き手がいない。人件費も上がっています。

お客様は、商品があれば買っていただけるのですが、供給側の体制が整っていかない。横川地区の人口は多分もう500人を下回っており、松井田町でも小学校が7、8校あったのが今は1校、中学校も4校が1校となりました。ビジネスとしては軽井沢に行く方が寄ってくださるので何とか成立していますが、住民も働き手も減り、峠の釜めしを知らなくなると企業としての求心力が落ち、存続が難しくなる。峠の釜めしをどうにかするにはまず地域をどうにかしないといけません。人手不足を外国人労働者に頼らざるを得ず、数年前から受け入れを開始して横川に住んで働きに来てもらう循環を作りました。10年前は製造工場において、外国人労働者の数はゼロでしたが今60名ほどいます。主には東南アジアの方でフィリピンの女性が多いのですが、皆さん明るくて、会社内が明るくなったというプラスの効果もありました。外国人の生活インフラをきちんと作り、横川を荻野屋のための町、という発想で捉えた経済圏を作っていくことも必要だと感じています。食材の調達も大変で、現在は半分以上の具材は海外産となっています。タケノコは中国産です。私が現地まで視察しますが、働く人がいなくなると産地そのものが廃れてしまう懸念もある。こうした点も踏まえて、地域で得られる食材をどうやってうまく使うかも同時に考えないといけません。
認知拡大については、ここ数年、様々なコンテンツとコラボをしてきました。『鬼滅の刃』とのコラボでは、コロナ中なのに見たことがないぐらいの人が横川に降り立ってイベントを楽しむ現象が起き、若い人たちにもアプローチができました。『イニシャルD』はアジアでも人気で、作中に弊社の横川店が出てくるためファンの方にとって横川店は聖地となっています。こうしたIP活用で観光地化・活性化する仕組みはもっとできると思っています。
地域の取り組みだけでなく、東京でも有楽町高架下に、立ち飲みの業態で横川の釜めしの具材だけでお酒を楽しむ「荻野屋 弦」というお店を始めました。開店当時コロナ禍だったことから、群馬・長野を応援するために地酒と食材を使ったおつまみなどを提供しました。今はもっと幅広くやっていますが、荻野屋を違う角度から知ってもらう取り組みです。また京王線の笹塚駅では「おこめ茶屋 米米(めめ)」というおにぎり屋さんをやっております。これは峠の釜めしのご飯を使ったおにぎりで、具材はいわゆる定番の鮭や昆布などで、これも峠の釜めしを知っていただくきっかけになればと思って始めました。横川以外の接点も増やして、もう一度横川を知ってもらう循環作りを目指しています。
ここから私の原体験の話をします。食というのは重要だなと改めて考えています。祖母のみねじは栄養士でしたので、幼少期、食にうるさかったのです。また父はフランス料理のシェフで、若い頃フランスに 10年以上滞在してフランス料理をやっていたために、私は子供の頃から結構フランス料理を身近に感じる経験をいろいろさせてもらいました。また、田舎はそのまま食べても美味しい食材がたくさんありますが、そういった食材がプロの料理人の視点でどう美味しくなるのかというのを、自然に身に付いたこともあり、非常に恵まれた環境だったと思います。また父に連れられていろいろと旅行しましたが、行く先々でその地域の特色ある食事を自然に教わりました。自分が幼少期に食べておいしかった経験は忘れられず、また行きたいと思う、つまり食は旅のきっかけ作りになります。こういうことをもっと意図的に仕掛けることが人を呼び込み、地域の活性化につながると感じています。そんな発想から昨年8月には西麻布の住所1-1-1という素晴らしく覚えやすい場所に「Restaurant O」をオープンしました。

峠の釜めし誕生時にあった強いこだわりを大切にしなれば将来釜めしを残したいと思っても残せないのではと思い、そこから、本当にこだわって最高品質のもの作ろうと考えた店です。フランスの星付きのレストランで長い間経験してきたシェフが中心となってメニューを考えています。フランス料理の技法でテロワールを表現しつつ、やはり荻野屋は和食ですので和の要素を融合して、日本の食材・調味料をベースに、荻野屋のエッセンスを組み入れた料理を目指しています。それはFusionと書いていますように、日本が歴史的に海外文化を吸収して発展してきたように新しいことを吸収することを日本のDNAと捉えて、荻野屋にはなかったフランス料理というジャンルを新たに取り入れることで新しい荻野屋が出来上がる。それを地域活性化の起爆剤として使っていければとも考えています。また商品品質だけでなく、人を育てること、調理技術やサービス技術、おもてなしの心を最高峰まで高めることも必要で、そうした専門家の方々とタッグを組み始めています。シェフとは、食材は絶対に妥協しないものを使おう、妥協しないものを作ろうと話をしていまして、日本各地の生産者さんのところに直接行って話をし、いただいた食材をシェフの手で新しい価値に生まれ変わらせ、その料理を通して地域の価値の再確認につながる循環を目指しています。   Restaurant Oの“O”は荻野屋の“O”でもありますがそれ以上に”循環”の意味もあります。人の集まる場所を通して地方の素晴らしさを伝え、それをまた地方へ還元する循環型のシステムが描ければと思っています。東京は世界から来る玄関口でもあるので、日本の良さを知っていただきそこから横川や地方へ行ってもらう、そうした循環型のものを作っていきたいです。循環以外にも原点のZero、フランス語で水、光を意味するオー、最高品質の“王“といった意味も込めていて、将来の荻野屋のための実験的な店舗でもありさまざまな原点回帰のお店と捉えています。
 結局荻野屋にとって地域活性化は生き残るための手段です。会社が生き残らなければ地域どころか家族も従業員も守れず、何も続かないし続けられない。目的にはするけれどあくまで手段という考え方で、そこから結果的に社会貢献になり地域活性化につながるところを考えていければ循環していくと思っています。荻野屋としては来ていただいた方に常に喜んでいただく。我々もそこで利益を享受して喜びの輪を作る。 取引先様が増えることで一緒になって喜び、地域に雇用を創出し、また税金をお支払いして社会インフラの糧になっていくという、オールハッピーの輪を、食を通じて実現できればと考えております。過去を守って未来を設計していく。140年経っていますが、地域の循環できるシステムづくりを目指していきたいということで、「食を通じて地域活性化」というテーマでお話しさせていただきました。ありがとうございました。

実習ツアー報告 ・熊野古道・大返路ツアー  堀田一芙さん

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事務局より:

2000年から2024年までの間に、JRや民間を含む鉄道路線の廃線は52路線にのぼるそうです。災害によってやむなく姿を消した路線もありますが、多くは利用者の減少や維持費の負担増などが背景にあるといわれています。

もちろん、自動車や飛行機など移動手段は以前よりも充実しています。それでも、日々の暮らしを支えてきた鉄道がなくなることは、地域に住む人にとって決して小さな出来事ではありません。通学や通勤、通院といった生活の足が失われることは、その土地に住み続けるハードルを少しずつ高くし、結果として人口流出の一因にもなり得るでしょう。

一方で、鉄道をめぐる文化の広がりも見過ごせません。いわゆる「鉄ちゃん」と呼ばれる愛好家の存在はよく知られていますし、旅先で味わう駅弁を楽しみにしている人も多いはずです。蒸気機関車にどこか懐かしさを感じる気持ちも、実際に乗った経験の有無を超えて、多くの人に共有されている感覚ではないでしょうか。

さて、AI化や省人化といったテクノロジーの進展から少し目を離してみると、鉄道にはまた別の可能性が見えてきます。鉄道の利用と「関係人口」の増加は、観光と移住のあいだをつなぐ存在として、意外に大きな役割を果たせるのかもしれません。駅や車両がコワーキングスペースとして活用される――そんな光景を思い描くのも楽しいものです。地域に愛される鉄道が、これからもさまざまな形で息づいていくことを願わずにはいられません。

「食熱通信第22号」発行:食の熱中小学校事務局(一般社団法人熱中学園内)

公式サイト:https://shoku-no-necchu.com/

Mail to:hello@shoku-no-necchu.com

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