食熱通信vol.20

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食の熱中事務局

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2025年10月28日

詳細、申し込みは左記から:https://www.facebook.com/share/p/1FRmfiLLSJ/?

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第5期の入学式が行われ、校長からスピーチの後入学証書が手渡され、代表として新入生最年少の堂野前靖さんからスピーチがありました。おめでとうございます!

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座学: 2025年10月29日(水曜) 18:30 ~ 21:00 会 場: ユビキタス協創広場CANVUS

*テーマ: 「能登の農業の未来と課題 
*講 師:  浅野大介 先生 (石川県副知事)

私はもともと経産省の役人で、昨年7月から石川県に赴任しています。課長になってからは、他省庁との間を越境して「それまでとは一味違うプロジェクト」を一緒に作る仕事を繰り返してきました。農水省では田植えも湛水もしない乾田直播で低コストな輸出米をつくるぞという仕事を仕掛けていたたところ、能登半島地震が起きて1年経ったところで究極系ですが、外様で副知事として石川県に赴任することになったんですが、しました。農水省で始めたやってばかりのいたこの仕事をそのまま石川県に持ちこみましてっていきまして、深めたりしてます。そんな話を軸に、今日前半は能登の農業の再生、お米でこんな仕掛けを打っていますという話をしたいと思います。


石川県はお米の県です。加賀野菜や果物、原田さんのお話にあった能登牛など、高級なものも多く、試験場もとても頑張って育ててきましたが、どれもあまり量が作れない出ないという供給サイドの弱点があります。量を出せるのは米と酒くらいです。ならお米は低コスト化して輸出すればいい。、あるいは今は国内増産だと言ったり、本当に増産していいのか悪いのか、中央の政治の流れは行ったり戻ったりしているわけですが、私が農水省に出向していた時、なぜ「米を輸出できる米づくり」を政策的に追求しないのかが不思議でという発想にならないのだろうと感じした、そこから今までと違うやり方をやろうと考えて。プロジェクトを始めました。その最中に地震が起こり、偶然呼ばれたかのように今の能登でのプロジェクトにつながっていきました。
日本のお米は美味しいけれど高い。輸出しても利益が残らない。ならば、「そもそもコメの作り方から変えるチャレンジら変えられないか。作り方自体をすることを変えることを含めて考えるのが輸出政策の本丸だ」と私はプロ農家たちと行動を始めてみました言ってきました。なぜお米を輸出の主役に置かないのかと農産局の人たちに尋ねると皆、「低コスト米なんて誰も作れない。集約してなんぼ、スマート農業をやってなんぼだけどで、そもそも集約すらできていないのだから高コスト構造は簡単に作れない」と言うんです。ならば稲の育て方そのものを変えられないか、作り方の改革からやろうということでそこから実証事業を組み立てました。それが農水省輸出国際局に作った「低コスト低メタン輸出米官民タスクフォース」です。実は北海道などではすでに答えを出し始めていた農家がいて、玉ねぎやビートを作ってきたいる網走の農家さんが、畑で雨水だけで「ななつぼし」や「ゆめぴりか」を普通に美味しく作ることに成功したのです。その量、なんと反還収11俵。この数字がわかる方なら驚かれると思います。ただ、畑で米を作るのは減反を続ける農水省の減反思想政策に大いに反します。ならば同じやり方で、畑とは言わず田んぼで水を使わずに直播の体系で米を作れれば思い切り低コストでできるのではないか?そういう問いから始まりました。全国から9つのプロ農家、農業生産法人に集まっていただき、さらにシンジェンタ、BASF、コルテバなどグローバルなや資材メーカーになどグローバルで勝負できる企業も入ってもらい、無茶を始めてみました。一番の無茶は鳥取の農業法人「TREE & NORF」の話です。不耕起で播種をしで、菌根菌を封入しながらバイオスティミュラントを使って直播の体系を作るというものですが、不耕起農法はなかなか難しく、これはまだうまくいっていません。そこで不耕起にこだわらず、多くの法人ではまずは節水型乾田直播、つまり田んぼに水を溜めずに畑作のように直播で米を育てる方法に取り組んでいます。耕起して代掻きをし、。水を溜めて苗を育て、移植して、水位の管理を続ける。その一連の工程が高コストの要因です。その前の田起こしや代掻き、つまり均平を取る作業にもコストがかかります。これを畑作的な播種だけで済ませれば、6~7割の生産コスト削減ができるのではないかというのが私たちの仮説です。もう1点大事なのは、水を溜めるとその下の土中が嫌気環境になり、メタン生成菌が活発になってメタンガスを放出してしまいまうということです。メタンガスはCO2同様にこれが温室効果ガスであり、世界全体では牛のげっぷと同じくらいの規模で排出されています。だからもはや手放しに稲作がは決して環境に優しいとはは言ええません。確かに湛水には、雑草が生えず、土中の菌のバランスを毎年水を入れてリセットすることで連作障害が出ないという合理性があります。しかしそれは、人手が十分にあることが前提の話です。メタンガスの問題が世界的に深刻化した今となっては、水田がは環境にいいと手放しには言えないは言えるかどうか。?今後米を輸出するならいずれ時に問題になっていくのでちゃんと対策を打っておかないといけないの話です。酒米も同じことで、日本酒の場合、ヨーロッパに輸出すると「そのお酒はどれだけメタンガスを減らした状態で作られているのか」と問われるリスクもありますことになります。だからこそ、今のうちに対策を講じておくのが賢いはず必要があります。


農水省の時にみんなで立てていた、アーバスキュラー菌根菌がこの農法の非常に重要な鍵を握るという仮説はこんな話でしたを立て、今も検証を続けています。菌根菌は植物から栄養をもらって生きており、その代わりに土中から水や養分を取って植物に与えます。種籾に菌根菌を塗布して播種すると、初期成育の段階において植物の根のように菌糸が土中に伸び、水分や養分を効率よく吸収してくれるため、灌水をしなくても植物が生きられる助けになるという仮説です。もうひとつがアサヒビールが開発したバイオスティミュラントですが、という資材もあります。ビール酵母の細胞壁を潰すと、そこからβ-グルカンという物質が出てきます。それを葉にかけると稲が病原菌に感染したと勘違いして頑張らなきゃと活性化し、根が伸びます。そのほか、畑作的に米を作るためには雑草を抑えることも必要なので、土壌を還元の方向に向けるために二ニ価鉄を撒くといったこともして、さまざまな工夫を加えていきました。
ただし乾田で米を作ると今度は連作障害のリスクを抑える必要がありが出てしまいます。そこで、土中の微生物のバランスをとったり、広い面積を耕作する中で輪作体系を取り入れる必要がありました。それには農業の大規模化が前提になります。一つの法人が大きな面積を面倒を見ることを前提に、二年三作といった形でブロックローテーションを行うような体系でプロジェクトを組み立てていきましもありうるはずだということですた。そんな中、能登半島地震が起き、自分が石川県に派遣される行くような流れにことになりそうだとわかった時点で、奥能登の被災した5軒ほどの農家さんをタスクフォースの仲間に入れました。地震で田んぼも割れて水も溜まらなくなり、これこそ水を使わない農法が復興に役立つかもしれないからということで入ってもらいました。もう今年は20近く16もの法人方々が、うまくいったり失敗したりですがして節水型乾田直播をチャレンジしていらっしゃいます。


私が石川県に来てからは、金沢の試験場、加賀、輪島の大きな法人の三カ所で、乾田直播の体系づくりを始めました。多収米の「ゆめみづほ」と「にじのきらめき」を撒き、バイオスティミュラントを入れる区画と入れない区画とか通常の灌水栽培との比較、と対象をいろいろ分けて実験しています。まとめはこれからですが、なかなか出現率が良くなかったりでまだ総合的に結果は出せていないですね。多分収量も灌水の場合より悪い。でもコストはぐっと下がっています。だから最後に手元に残る利益の計算までやらないと有効性はわからないわけです。また、節水型完全直播はテレビでも何度も取り上げられました。官民タスクフォースのメンバーである埼玉のヤマザキライスさんもたびたび紹介されました。結局、普段から在来型の慣行農法で結果を出してきた人たち、土づくりや雑草管理のノウハウもある人たちがこの方法を取り入れると成果を出せるんです。高い利益率の農業ができる世界を作るには基本の技術も重要なのだろうと思いました。
BASFの耕作支援AIサービスであるザルビオを使うと・ヘルシーフィールドは、圃場の様子を衛星写真で継続的に撮影することで植物のバイオマスを推計できます。これにより、1枚の田んぼの中でも肥沃な地点場所とそうでない地点場所を比較でき、肥沃なところにまで肥料を落とす必要はないため、メートル単位で肥料や薬剤の量をコントロールすることで資材コストを下げられます。そんなふうに人工知能などにも頼りながら、約4回ほど雑草の防除をやってみています。試験場では灌水管理の方が稲の分げつがよく、分げつが弱いと最後収量に差は出るのですが、結局コストで比較しようと考えています。
ここからは、私自身が「畑での節水型乾田直播」を試してもやってみた話でのご紹介になりますす。県の試験場で6アールほどの畑を借り、テープシーダーという播種機、つまり細い不織布の中に20センチ幅ぐらいの菌根菌を塗布した種もみ稲を入れて、手押し車を菌根菌も塗布して押すだけで簡単に播種ができます。今回、すぐに出芽しました。でも落とし穴があって、播種後にマーシェット乳剤という土壌処理剤、つまり除草剤を、翌週大雨予報があったため使用しなかったのです。薬害は避けられたと思う一方、ここから地獄の夏が始まりました。茎葉処理剤はタスクフォースで確立した方法で行いましたが、最後の雑草処理が大変なことになり、手作業で、2人で40時間くらいかけて草むしりし、ここで相当な高コストになってしまいました。反省として、薬害のリスクが低い土壌処理剤を最初から選んでおけば、雨の予報があってもに撒いていたはずで、いればこの無駄な手作業は発生しなかった。私はアマチュアなので躍起になってやったものの、プロ農家の世界では手作業なんてありえないわけで、雑草対策の薬剤選択の重要性を痛感しました。
7月の終わりから8月の初めには稲が60センチを超えるほど成長し、8月末になると雑草の心配が減ってきました。1か月半ほど大変な思いをして、9月には全域で出穂を確認し、ようやく一息つけました。分げつが弱く隙間はスカスカでしたが、風通しが良いので病気の心配は少ないだろうと判断し、農薬散布の機械もないし翌週大雨予報だったため紋枯病やいもち病の対策をしませんでした。そうしたら不覚にも発生しまして、稲が倒伏しちゃったんです。ある日行ったら、なんか隕石が落ちたんですかみたいな倒れ方をしてて、もう泣きそうになったんですが、それでもこの間、晴れて収穫しました。乾燥、計量、食味試験をこれからやっていくことになります。
なぜ能登でこうした取り組みを行ってきたのかというと、能登は稲作が重要であるにもかかわらず人手が圧倒的に不足しているからです。官民タスクフォースで一緒に活動している能登の大きい法人さんには、うちの田んぼもやってほしい、という依頼が次々と集まっているのですが、130ヘクタール、140ヘクタールまでは対応できても、200ヘクタール、300ヘクタールにもなると預かりきれないんです。ですから、いかに人手をかけない農業ができるかが重要です。湛水して苗を植える方法もありますが、少人数で作業でき、収量が多少減っても最後に手元に利益が残る農法を今のうちに確立しておかなければ、能登の稲作は耕作放棄地が増え、取り返しのつかないことになってしまいます。私も自分でやってみて課題がよくわかったので、畑作的な稲作を早く確立しようという話をして、法人さんたちと頑張っているところです。
能登の農業の課題の中で、畜産や酪農と稲作・畑作の循環というテーマも避けて通れません。原田さんのお話にも出てきた能登牛は、出荷頭数がかつて1500頭ほどありましたが1200頭まで減ってしまいました。短期的な目標として1500頭まで戻すことを掲げていますが、2000頭、2500頭といった成長戦略を描くのは難しい状況です。その理由は糞尿の処理能力にあります。出た糞尿は堆肥になりますがどうやって堆肥を捌くことができるかで、しもの静脈の方をどうにかしないと動脈的な議論だけ走らせるわけにはいかないというのが能登牧場さんのご意見です。米作に使ってもらおうとしても、鳥の糞なら効くが牛の堆肥はどうなのか、豚の糞尿を堆肥にして農業に戻す循環はどれぐらい作れるのか、という、そういう話です
また、能登には多くの酒蔵があり、酒蔵から出る酒かすの処理も課題です。酒かすをそのまま牛に食べさせたり、牛の糞尿由来の堆肥に酒かすを混ぜてみる。そうした話も含めて、土に帰っていく循環の議論が始まっています。
さらに大きな課題が森林です。石川県は好んで里山や里海という言葉をよく使いますが、能登の里山は、現状里山と呼べないほど荒れているというのが自己評価です。 能登の山林に関わっている人たちは「今の能登の山は恥ずかしくて里山とは言えない」と話します。昔、気仙沼の牡蠣養殖で有名な畠山さんが「森は海の恋人」とおっしゃっていたように、森が荒れるということは、海も荒れるということです。七尾の美味しい牡蠣も、背後にある山の問題を解決しなければ本当の意味での豊かさを取り戻せません。だけど、ここにはまだ手が付けられていません。


ここからは復旧・復興の話になります。能登半島では、奥能登に行けば行くほど人口が減少しています。珠洲市はついに1万人を割りました。能登の復興を考える上で、関係人口や2拠点居住、移住者、観光客といった交流人口をどう増やしていくかが能登の復興を考える上で外せない論点です。能登には空港がありこれは大きな利点です。さっきのプレゼンにあった鶴岡と似ていて、鶴岡も羽田から45分ほどですよね。私自身、鶴岡には何度も行っていて養蚕の松ヶ丘も何回もお邪魔し、さっきのプレゼンと同じような魅力をたっぷり感じています。羽田から40分ぐらいで庄内空港に来れる有利さから企業立地もちゃんと進んでいて、慶応大学の先端生命科学研究所も誘致してきてそこからバイオベンチャーも出てきていて、となかなか理想的な地方再生の循環ができてきた場所です。私の中では、能登半島も鶴岡的にいけないでしょうか、とやっぱりそういう発想になるんですよね。で、鶴岡のアル・ケッチャーノの奥田シェフのような人材が、能登にもいます。輪島のラ・トリエ・ドゥ・ノト、それは今は休業中で、芽吹というレストランを輪島でやっていらっしゃる池端さん、七尾のヴィラ・デラ・パーチェというイタリアンレストランで、オーベルジュをも運営している平田さんなどシェフ、そしてラトリエ・ドゥ・ノト。今は休業中で、芽吹というレストランを輪島でやっていらっしゃる池端さん、です。こうした既に名の売れたシェフたちが、次の世代の、例えば首都圏で星付きのレストランでスー・シェフをやっているような人たちに「能登には良い食材があるから理想のレストランオーベルジュをやれるよ」と声をかけて誘致していくいく動きをこれからやっていきたい、そんな感じになってきています。写真のように、七尾湾を望むヴィラ・デラ・パーチェからは能登島や和倉温泉が見え、抜けるような景色が広がります。私も行って、この抜け感、これがもう本当に爽快なんです。この日は、東京から訪れたシェフたちが仮店舗を作りイベントを行ったのですが、そういう人たちに対し、これまた別事業で、公費で解体するところだった古民家を売りに出すなり人に貸すなりしてみませんか?というのを進めています。今だったら古民家に生かせるんじゃないですか、という話を必死に回してきました。例えばレストランや宿を開いてみようかと思った人たちが大き目の古民家をリノベーションしてお店を作るという循環が生まれ始めてできたらいいねという話をしています。
東京から美味しいものを食べに来る人たちをまず呼び込み、あとは例えばウォーキングに、トレッキングに来る場所にする。先日、この間私もトレッキングコースを設計するシンクタンクの方々と2時間ほど能登の外浦を一緒に歩いてみて、改めて、気持ちいいなぁ、いい場所だなぁ、と思いました。歩いてみるとわかるんですよね。車やバイクだっていいんです。それから能登には、奥能登国際芸術祭という、珠洲市だけでやっているトリエンナーレがありますが、。2026年の回今回は延期になりましたがこれを珠洲市だけのお祭りにせず、少なくとも和倉温泉のある七尾市や輪島市辺りも含めた広域の開催にできないだろうかと検討を始めています。そのため、今年開催中の瀬戸内国際芸術祭に、県の職員9名と町の職員をインターンとして派遣し、運営の仕組みを学んできてもらいました。もし本当に広域のトリエンナーレができるなら、古民家の1つ1つや山奥の集落全部もアーティストの活動の場として考えられ、レストランやオーベルジュとも連携したりといろいろなことを考えています。あとは「学ぶ能登」と「整う能登」。私はこの1年4か月で能登に120回ほど行きました。輪島の三井という地域では、NPOの方々とボランティアが協力して、これまで道のなかった山に重機を使って路網をつけ、間伐を進めるています。重機講習会を開いてるんですが、私の参加した回にもには15人ほどが集まり、そのうち3人は東京から参加していました。自分が作った道を見るのはとても楽しいことです。さらにロープやチェーンソー、重機の使い方を学ぶことは、災害時の道路啓開や人命救助にも役立ちます。海外に目を向けると、ドイツには災害などの危機に対応する技術支援工作隊(THW)という制度があります。かつては兵役の代わりにこの活動を選ぶこともでき、電気工事なり重機操作などといった技術を持つ人がボランティア登録をして、レベルに応じた資格を与えられ、それに見合った現場に派遣される仕組みです。技術アセスに基づいた資格を持って現場に入る制度ですから、まさにシビルディフェンスですよすね。人命救助のNGOの人たちがよく言うのは、基本的に林業と、あと海のアウトドアで使う技術は本当に人命救助や災害時に役に立つのだそうです。バックホーを使えること、チェーンソーでものを切ることができること。ドアをこじ開けて中にいる人を救出する時ですよね。そしてロープを使えること。この3つがとても大事で、あとはボートを浮かべて海で活動ができること。シーカヤックとかですが、水難事故や洪水の時に取り残された家から人を救出するようなことですね。能登を、こうした技術を学べる場所として育てていくことも可能だと思います。
農業の話から、明るい未来を描く話をしました。ここからは復旧というプロジェクトはどう動くかという、組織論みたいな話をしていきます。私は昨年1月1日の地震の後、7月1日に着任しましたが、その2か月半後に奥能登で豪雨が発生し、復旧が振り出しに戻るほどの被害を受けました。この1年4か月は、ほとんど復旧の仕事に費やしてきましたが、まだ完全には終わっていません。私の仕事を一言で言えば、「越境」「対話」「ロビイング」のを繰り返しでしたてきました。県庁から市町への越境、県から企業やNPO、NGO、地域団体への越境、想像以上に官民連携は難しく、時には対立もありますが、それを乗り越えて対話を続けています。ロビイングは、国にひたすら要望し続けて叶えてもらうけること。国の回答は、大抵は「できません」、というところから始まります。そこをなんとかして会話できこじ開けるる段階まで持っていくゲームですがには、並々ならぬ汗と涙の努力が必要です。
能登は金沢から車で2時間半かかります。毎朝現場の状況を確認するため、ひたすらオンライン朝会を続けてきました。その活動から宝がいっぱい出てきて、何をやったらいいのかがわかり、国のルールで解決できるものは国へ、県で対応できるものは県で、市町にお願いすべきことは市町へお願いをしました。私のボスの馳浩知事は国会議員を26年務めた方なので、総理大臣や官房長官、財務大臣などと携帯電話ひとつで直接連絡が取れるため、話が早いのです。知事が先に橋渡しを仕掛けてくれるからこそ、副知事である私が、も本省の局長級と直接の調整にすぐ取りかかれできます。


奥能登豪雨の後、どうにも情報が集まってこない。知事や副知事まで上がってくる情報は、各部から上がってくるあらゆる情報がもうつるつるに磨き込まれて一枚の簡潔な資料になってしまいます。これでは現場の実態が見えません。でも、たとえば写真にいるのが、沖縄の災害NGO結の方、日本財団、OPEN JAPANの現場リーダー、輪島の町野地区の有力関係者たち、こうした人たちと毎朝会議をしていると、詳しい情報が全部集まってきます。たとえば、土砂災害において土砂は制度上は土砂・流木・がれきに分類されますが、実際にはごちゃっと1つで来るわけです。それを都市計画区域内だと国交省、区域外だと環境省、道路や河川の上だと国交省の他の補助金、農地の上だと農水省、と仮置き場を作って補助金ごとに仕分けていたら大変です。これに対し沖縄のNGOが、4本の補助金を一括処理するスキームに変えられないかという話をしてくれて、知事から石破総理に提案し、総理が財務省に落とし、私も突っつきに行き、最終的に前政権の復旧・復興支援本部で一括処理請求が認められました。また、輪島市の町野地区では、土砂災害の土砂を撤去するボランティアが必要だという声が上がっているのに届いてきていませんでした。私は町野の農家の、街づくり団体のリーダーから直接、町野にボランティアセンターを作ってください、大量にボランティアが必要だからすぐに送ってください、県はバスを出せないんですかと言われたので、出しましょうとすぐ決めました。と依頼を受け、県が前に出て、金沢からボランティアバスを出し、県の基金を活用して運営しました。本来は市の仕事ですが、市が動けないなら県が越境してやるしかありません。中学校の体育館をボランティアセンターにしようとして、子供たちの場所だからと学校を開けてもらえず、県教育長からのルートでお願いして正式に許可を得ました。この調整は本当に大変でしたがようやくボランティアセンターが動き出しました。
あと、こうした要請を私がオンライン朝会で直接受け取ってしまうのはリスクじゃないか、県の副知事が現場の情報を受け取っていいのか、という声も上がってきました。「お殿様の直下の老中はどっしり後ろに構えているべきだ」という組織文化ってやっぱりあるんですよね。でも私はそうは思わない。まず10割聞く。そしていて頑張っても対応できるのは良くて5割、6割程度だと割り切っていい。、それなら10割聞いて120%汗をかけば、打率5割でも、ほとんどの人はありがとうと言って、また一緒に頑張っていこうとなる。からだから、まず10割聞いて120%調整を頑張るくことが大事だと思いました。こうした積み重ねの中で、雇用調整助成金の延長や、和倉温泉の労働者への支援、地方創生交付金の基金化などを実現しました。自由に使えるお金がない現実を踏まえ、県で基金をつくり、最長9年使えるようにしました。これにより、被災地が柔軟に動けるようになりました。 改めて、能登の明るい未来を担うのは、食、またアートを見たり歩いたり走る。飛行機に乗ってすぐ来れて、山あり海ありでいろいろ楽しめる場所です。皆さん、能登でちょっと直せば使える空き家の古民家をお家買いませんか? これが重要なんですよね。実は私も探しています。古民家スマイルとスマホで検索して入れていただくと能登の特集ページが出てきます。「今どき軽井沢に別荘を買うなんてってちょっと古いぞ」(笑)ぐらいのメッセージを本当は出したいんですよね。復興したら能登に行こう、ではなく、みなさんには「復興の目撃者」になってもらい、家を買ったり田んぼを借りていただいて、いろんなことを一緒に楽しんでいただける方が1人でも増えていくように、これからもいろいろと発信をしていきたいと思っております。


山形県鶴岡市ツアー 加藤泰子さんレポート

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事務局より:

今回は、「食と宗教」の関係を考えてみましょう。それは私たちが思う以上に深いのではないでしょうか。宗教はしばしば、何を食べるか、どう食べるか、いつ食べるかに決まりを与えます。それは単なる禁忌ではなく、共同体の絆を強め、心身を整えるための知恵でもあります。イスラム教のハラールやユダヤ教のコーシャ、ヒンドゥー教の菜食、仏教の精進料理など、食の決まりは信仰の世界観を日常生活に反映させる仕組みだと思います。断食が自己を見つめ直す時間になるように、食は心を整え、倫理や価値観を育てます。宗教における食は、単なる栄養摂取ではなく、文化と精神をつなぐ重要な生活の根源だと思います。

「食熱通信第20号」発行:食の熱中小学校事務局(一般社団法人熱中学園内)

公式サイト:https://shoku-no-necchu.com/

Mail to:hello@shoku-no-necchu.com

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